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海外の主な自動車メーカー
ボルボ・カーズ
前身は、建設機械、船舶、金融等多くの業種部門を擁するスウェーデンの企業グループの乗用車部門です。
1924年、アッサール・ガブリエルソン、グスタフ・ラーソンによってスウェーデンでの自動車製造の計画が始まり、1926年、当時のスウェーデン最大企業だったベアリングメーカーSKF社の後援により、自動車製造会社としてのボルボ社が創立しました。
1999年に乗用車部門がフォードに売却され、ボルボ・カーズが誕生しました。
2010年8月、フォードは、中国企業の浙江吉利控股集団にボルボ・カーズを売却しました。
会社概要Company
- 社名
- ボルボ・カー・コーポレーション(Volvo Car Corporation)
- 設立
- 1927年
- 本社所在地
- スウェーデン
開発思想Development Concept
代表車種Representative modelst
ケーニグセグ
1994年、スウェーデンの実業家・クリスチャン・フォン・ケーニッグゼグによって設立されました。
2005年に発売されたスーパーカー「ケーニグセグ・CCR」が市販車でのギネス世界記録を樹立したが、この記録は2007年アメリカのスーパーカー「SSC・エアロ」によって更新されました。
会社概要Company
- 社名
- ケーニグセグ(Koenigsegg)
- 設立
- 1993年
- 本社所在地
- スウェーデン
代表車種Representative modelst
道路交通法の基準を超えてしまう為、日本での正規輸入は行われていないようです。
スパイカー・カーズ
1997年にビクター・ミューラーとマーテン・デブルーインによって設立され、2000年から自動車の製造を開始。
2010年2月、スパイカー・カーズはゼネラルモーターズから、スウェーデンのサーブ・オートモービルブランドを取得しました。
そして新たに設立したサーブ・スパイカー・オートモービルズでサーブブランドの自動車を製造販売する予定でした。
2011年2月にスパイカー・カーズはスパイカーブランドの事業を売却し、傘下のサーブブランドの事業に集中することを決定。
6月に社名をスウェディッシュ・オートモービル(SWAN)に変更しました。
同年9月にSWANはスパイカーブランドを米投資会社ノースストリートキャピタルに売却しました。
なおSWAN傘下のサーブ・オートモービルは不振が続き2011年12月に破産しています。
会社概要Company
- 社名
- スパイカー・カーズ(Spyker Cars N.V.)
- 設立
- 1997年
- 本社所在地
- オランダ
代表車種Representative modelst
セアト
1950年にスペイン政府の産業振興機関と銀行、イタリアのフィアット社の出資のもと、国策自動車会社として創設されました。
フィアット社との技術提携を得て、1953年に中型車「1400」を発売しました。
そして1963年の小型車「600」の成功により、スペインにおける自動車の普及に貢献しました。
以降は、独自車種よりもフィアットの車種をライセンス生産することに重きを置いて、スペイン最大の乗用車メーカーとしての地位を維持しました。
1980年にはフィアット社が撤退し、その2年後の1982年にフォルクスワーゲン(VW)と業務提携を結びます。
1992年のバルセロナオリンピックにより先進国としての国際的認知度が高まると、1993年に完全子会社化され、全ヨーロッパ、中南米、アジア諸国へ輸出されるようになりました。
会社概要Company
- 社名
- セアト(SEAT S.A.)
- 設立
- 1950年
- 本社所在地
- スペイン
代表車種Representative modelst
日本への正規輸入・販売は行われていません。
シュコダ (SKODA)
オーストリア=ハンガリー帝国領時代の1895年、書籍商のヴァーツラフ・クレメントと機械工のヴァーツラフ・ラウリンが、自転車メーカーのラウリン&クレメント社として創業したのが始まりです。
1899年にはオートバイの生産を開始し、1901年に同社初の自動車「ラウリン&クレメント」を製造しました。
1907年に株式会社化した後、1912年にはリベレツ州のレイヒェンベルガー自動車工業社を買収。
第一次世界大戦の特需で急成長を遂げ、国内最大の自動車メーカーになりました。
ラウリン&クレメント社は、チェコスロバキア共和国成立後も、乗用車やトラック、航空機用エンジンの製造により好調な業績を維持するものの、1924年の大規模工場火災のため経営困難に陥り、翌1925年、国内大資本のシュコダ工業株式会社に買収されました。
チェコスロバキア共和国は、終戦直後の1945年から国内主要重工業企業の国有化を進め、シュコダ工業は1948年に国有化が行われ、自動車製造部門が自動車工業国営会社(AZNP)に分離されました。
1989年の社会主義からの体制転換後、チェコスロバキア連邦政府は外国資本の導入によってAZNP社を民営化する方針を決めました。
そしてドイツのフォルクスワーゲン社と提携を結び、1991年にフォルクスワーゲン・グループの4番目のブランド、シュコダ・オート株式会社として民営化を果たしました。