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海外の主な自動車メーカー
RENAULT(ルノー)
1898年のことです。当時21歳だったルイ・ルノーは三輪車を改造した車で、それまでどんな自動車も登れなかったモンマルトルの坂道を難なく登りました。
この時彼が発明していたダイレクト・ドライブ・トランスミッションは後に特許を取得し、世界中の自動車メーカーに採用されることとなりました。
ルイはその場で同車12台分の注文を受け、彼の車作りが始まりました。兄と設立した会社はみるみる成長し、生産を拡大していきました。しかし、第二次世界大戦でフランスがドイツに降伏すると、ルノーはドイツ軍の圧制下に置かれることとなり、フランスが開放された後もルノー社の資産は国に没収されることとなりました。
1945年にルノー社は行政命令により国有化され、数々のベストセラー・カーを生み出しました。
1996年に完全に民営化され、新車開発を一挙に手がけるテクノ・センターを創設、11,500人の社員が日々新モデル開発に取り組んでいます。
先進的なデザインと優れた安全性能、高品質の製品は高い評価を受け、1998年から2004年までヨーロッパで第一位の販売台数を記録し続けました。
安全性への取り組みには昔から力を入れており、近年運転中の危険回避の補助システム(エレクトロニック・スタビリティー・プログラム)を採用し、世界最高権威を持つ自動車衝突安全テスト「ユーロNCAP」で多くの車が5つ星評価を取得し、世界中にルノーの持つ安全性の高さを知らせました。
会社概要Company
- 社名
- Renault S.A.S.
- 設立
- 1898年
- 本社所在地
- フランス、ブローニュ=ビヤンクール
開発思想Development Concept
また、カーライフのプロフェッショナルであり続けるために、絶えず学び、吸収し、成長しました。
そして全てのステークホルダーに対して誠実であり続けること、これが同社の目指す車作りです。
代表車種Representative modelst
現行モデルは3代目に当たりますが、3世代とも同社のデザイン担当上級副社長を務めるパトリック・ル・ケモン氏がデザインを担当しています。
プジョー
金属製造業を営む両親を持つアルマン・プジョー氏が1865年から経営に参加したことから、後に会社としてプジョーが誕生しました。
1882年に「Le Grand Bi」という自動車を会社の持つラインナップに追加すると、アルマン氏は自動車に興味を持つようになります。
ドイツの技術者で内燃機関及び自動車開発のパイオニアと呼ばれるゴットリ−プ・ダイムラー氏と会った後、1889年には蒸気エンジンを掲載した3輪の自動車をプジョーとして4台製作し、自動車製造業をスタートさせました。
その後も順調に製造台数を増やしていき、1895年までに140台を製造し、世界最古の量産自動車メーカーとして今日まで知られています。
会社概要Company
- 社名
- Peugeot S.A.
- 設立
- 1882年
- 本社所在地
- フランス、パリ
代表車種Representative modelst
基本モデルは5ドアですが、一部のグレードによっては3ドアのものもあります。
近年、日本でもカー・オブ・ザ・イヤー実行委員会特別賞を受賞しています。
シトロエン
第一次世界大戦直後の1919年、ダブルヘリカルギアと大砲用砲弾の製造で富を得たアンドレ・シトロエン氏がヨーロッパの自動車の大衆化を目指し設立しました。
シトロエン氏が経営者としてスタートするきっかけになったダブルヘリカルギアは、現在まで続くシトロエンのロゴのモチーフとなっています。
流れ作業方式で小型・中型車を大量生産することで成功し、急成長していましたが、アンドレ氏のワンマン経営により1934年経営危機に陥ります。
この時タイヤメーカーであるミシュランの系列会社となり、ミシュラン製タイヤを装着して出荷されました。
第二次世界大戦後も多くの会社と提携し注目を集めますが、1970年代には再び経営困難に陥り、最終的に競合自動車会社であるプジョーに主導される形で「PSA・プジョーシトロエンのグループ会社となりました。
これに伴ってプラットフォームやエンジンこそプジョー車と共通化するようになりましたが、依然としてプジョーとは異なる個性的なブランドとして存在しています。
先進技術をいち早く取り入れる会社で、「10年進んだ車を20年作り続ける」と言われました。
また、広告展開にも優れ、エッフェル塔やパリ上空に「CITROEN」の文字を入れたり、ルーブル美術館主催のアート展が開催されるなど、優れたセンスを発揮していました。