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日本の主な自動車メーカー
ホンダ(本田技研工業)
本田技研工業株式会社は、日本、北米、欧州、南米、中国、タイ、インドなど世界各地に拠点を置く大手輸送機器及び機械工業メーカーです。1947年、初めてHondaの名がついた自転車用補助エンジン「A型」(2ストローク・50cc)を生産開始。これは本田技研工業創立の一年前のことでした。
以降、オートバイ、自動車、汎用製品(太陽電池・耕うん機・芝刈機・除雪機・発電機・船外機など)の製造、販売を主業務として推進。新規分野としてASIMO(アシモ)のような二足歩行ロボットや、Honda Jet(ホンダ ジェット)と呼ばれる小型ジェット機とターボファン式ジェットエンジン等の開発も行っています。
オートバイや小型汎用エンジンに関してはシェア世界一であり、世界中のほとんどの地域で販売。自動車に関しては、2003年(平成15年)には日本での軽自動車を含めた販売台数で、初めてトヨタ自動車に次いで第2位になったものの、日産自動車の業績回復により2011年(平成23年)2月には再び日本国内販売3位に後退してしまいました。
2007年(平成19年)ベースの国内販売台数ではスズキ、ダイハツ工業に次いで5位だったものの、2009年(平成21年)ではスズキ、ダイハツ、日産を追い越し再び2位へとなりました。
会社概要Corporate Profile
- 社名
- 本田技研工業株式会社
- 設立
- 1948年9月
- 本社所在地
- 〒107-8556 東京都港区南青山2-1-1
- 資本金
- 860億円
開発思想Development Concept
私たちHondaは、一人ひとりが抱いている「こんなものがあったら楽しいなあ」「これができたら、多くの人が喜ぶだろうなあ」という夢や想いを大事にして、日々新しい製品や技術にチャレンジしています。夢があるから失敗を恐れず、夢の実現へとチャレンジする勇気と力が湧いてきます。
夢は私たちを動かす大きな力。Hondaは「The Power of Dreams」を原動力に、世界に新しい喜びを提案していきます。
1.名称
創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名はこの本田の姓から名付けられました。
日本の自動車メーカーとしては9番目の創業。通称および日本の各証券取引所での表示は「ホンダ」。
ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしています。
2000年(平成12年)末からロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになりました。
これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは「ホンダ」の表記を要望していることでもあります。
2.方針
藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術畑出身であるべき」という言葉が現在も守られており、現職の伊東孝紳社長に至るまで、歴代の社長はすべて技術畑出身。
そのうち福井威夫まではエンジン開発部門の技術者であり、本田宗一郎以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験があります。
また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針を貫き、創業初期に重要な役目をになった本田の弟、弁二郎も退社させています。
その後、弁次郎はホンダの部品メーカー本田金属技術を、長男の本田博俊はホンダのアフターパーツメーカー「無限」を創業しています。
創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を実行しています。
ただし、初期の頃は本田と父親が知り合いだった縁で入社した二代目社長の河島喜好のように、親戚・口利きで問題なく入社することができた時期もありました。
縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない本田宗一郎の個人的事情が陰にあったためです。
また中途採用にも積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である広瀬真人、SH-AWDなどの駆動力制御が専門である芝端康二も中途採用組。
ほかにも本田の思想が反映した事例としては、社長室がない、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴があります。
3.環境への取り組み
1971年(昭和46年)に低公害技術であるCVCCを発表。
アメリカでマスキー法という規制に対応するエンジンは世界中のメーカーどこもが開発不可能と言われた厳しい環境規制法がありましたが、この条件をクリアしたのが当時は日本の中小メーカーでしかなかったHondaでした。翌年からトヨタ、フォード、クライスラー、いすゞに技術供与しています。
近年はハイブリッド車であるインサイトやシビックハイブリッドといった二酸化炭素の排出量が少ない車両の本格普及に向け、低価格なハイブリッドカーの販売や地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発や各工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、ツインリンクもてぎ内での環境教育施設運営から有志による海岸の清掃活動など、多岐に渡っています。
また、日本国外では中国内モンゴル自治区通遼市のホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っています。
これらの前世代から受け継いできた環境問題に対し、積極的に取り組んでいるだけでなく、きたるべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティのリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っているのがHondaの見据えた未来です。
夢は私たちを動かす大きな力。Hondaは「The Power of Dreams」を原動力に、世界に新しい喜びを提案していきます。
1.名称
創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名はこの本田の姓から名付けられました。
日本の自動車メーカーとしては9番目の創業。通称および日本の各証券取引所での表示は「ホンダ」。
ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしています。
2000年(平成12年)末からロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになりました。
これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは「ホンダ」の表記を要望していることでもあります。
2.方針
藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術畑出身であるべき」という言葉が現在も守られており、現職の伊東孝紳社長に至るまで、歴代の社長はすべて技術畑出身。
そのうち福井威夫まではエンジン開発部門の技術者であり、本田宗一郎以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験があります。
また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針を貫き、創業初期に重要な役目をになった本田の弟、弁二郎も退社させています。
その後、弁次郎はホンダの部品メーカー本田金属技術を、長男の本田博俊はホンダのアフターパーツメーカー「無限」を創業しています。
創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を実行しています。
ただし、初期の頃は本田と父親が知り合いだった縁で入社した二代目社長の河島喜好のように、親戚・口利きで問題なく入社することができた時期もありました。
縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない本田宗一郎の個人的事情が陰にあったためです。
また中途採用にも積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である広瀬真人、SH-AWDなどの駆動力制御が専門である芝端康二も中途採用組。
ほかにも本田の思想が反映した事例としては、社長室がない、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴があります。
3.環境への取り組み
1971年(昭和46年)に低公害技術であるCVCCを発表。
アメリカでマスキー法という規制に対応するエンジンは世界中のメーカーどこもが開発不可能と言われた厳しい環境規制法がありましたが、この条件をクリアしたのが当時は日本の中小メーカーでしかなかったHondaでした。翌年からトヨタ、フォード、クライスラー、いすゞに技術供与しています。
近年はハイブリッド車であるインサイトやシビックハイブリッドといった二酸化炭素の排出量が少ない車両の本格普及に向け、低価格なハイブリッドカーの販売や地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発や各工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、ツインリンクもてぎ内での環境教育施設運営から有志による海岸の清掃活動など、多岐に渡っています。
また、日本国外では中国内モンゴル自治区通遼市のホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っています。
これらの前世代から受け継いできた環境問題に対し、積極的に取り組んでいるだけでなく、きたるべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティのリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っているのがHondaの見据えた未来です。
代表車種Representative modelst
●オデッセイ
ホンダ オデッセイは、本田技研工業のミニバン型の乗用車。
1994年10月に初代モデルが発売、2008年10月17日に4代目が発売されました。
ホンダのクリエイティブ・ムーバー(生活創造車)の第一弾として発売された初代から現在までヒットを続けており、ホンダの基幹車種のひとつに位置付けられています。
乗用車ベースのミニバンとして、セダン同等の運動性能を持ち、なおかつセダンよりも広い室内空間が魅力。
また、床が低いので乗降性が他の車種に比べて楽なのが特徴でもあります。
後席ドアは他のミニバンで一般的なスライドドアではなく、一般的なセダン型乗用車と同様の前ヒンジドアを採用。
4代目のオデッセイの心臓は、2007年に一新されたインスパイアにも搭載されている2.4リッター直4エンジンです。
●フリード
1994年10月に初代モデルが発売、2008年10月17日に4代目が発売されました。
ホンダのクリエイティブ・ムーバー(生活創造車)の第一弾として発売された初代から現在までヒットを続けており、ホンダの基幹車種のひとつに位置付けられています。
乗用車ベースのミニバンとして、セダン同等の運動性能を持ち、なおかつセダンよりも広い室内空間が魅力。
また、床が低いので乗降性が他の車種に比べて楽なのが特徴でもあります。
後席ドアは他のミニバンで一般的なスライドドアではなく、一般的なセダン型乗用車と同様の前ヒンジドアを採用。
4代目のオデッセイの心臓は、2007年に一新されたインスパイアにも搭載されている2.4リッター直4エンジンです。
フリードは本田技研工業から2008年5月に発売となったコンパクトミニバンです。
FREED(フリード)はFreedom(自由)からの造語で、車名には常識や定石にとらわれず自由な発想で企画する「Free(自由な)+do(行動する)」という意味合いを込められています。
ヨーロッパの路面電車を思わせるようなスタイルから一転して、ホンダ上級車種のエリシオンに似たフロントデザインとメルセデスベンツ・Vクラスを想像させるサイド&リヤデザインなど、シンプルで機能的なデザインがフリードの特徴です。
車体寸法を全高25mm程低くして、走行時の安定性を向上させています。
●フィット
FREED(フリード)はFreedom(自由)からの造語で、車名には常識や定石にとらわれず自由な発想で企画する「Free(自由な)+do(行動する)」という意味合いを込められています。
ヨーロッパの路面電車を思わせるようなスタイルから一転して、ホンダ上級車種のエリシオンに似たフロントデザインとメルセデスベンツ・Vクラスを想像させるサイド&リヤデザインなど、シンプルで機能的なデザインがフリードの特徴です。
車体寸法を全高25mm程低くして、走行時の安定性を向上させています。
フィットとは本田技研工業の5ドアハッチバック型の小型自動車です。
トヨタ・ヴィッツ、日産のマーチとともにコンパクトカーの御三家と呼ばれています。
グローバル・スモールプラットフォームと呼ばれる燃料タンクを車体中心に配置したレイアウトを採用。
このレイアウトにより同クラスのスモールカーを大きく上回る広さを実現し、2002年にはこれまで33年間連続して国内の車名別年間販売台数1位を誇ったトヨタ・カローラシリーズを抜き、年間1位になりました。
カローラの販売台数はカローラの名を冠する複数の車種の合計ですが、フィットは1車種であることから、その人気が伺えます。
このプラットフォームは、後にモビリオ、モビリオスパイク、フィットアリア、エアウェイブそして、欧州向け3代目シビック(3ドア及び5ドアハッチバック)にも用いられています。
優れた走行性能と低燃費の両立、そしてコンパクトカーでありながら広いラゲッジスペースを確保し、コンパクトカーのベンチマークのひとつとして評されています。
トヨタ・ヴィッツ、日産のマーチとともにコンパクトカーの御三家と呼ばれています。
グローバル・スモールプラットフォームと呼ばれる燃料タンクを車体中心に配置したレイアウトを採用。
このレイアウトにより同クラスのスモールカーを大きく上回る広さを実現し、2002年にはこれまで33年間連続して国内の車名別年間販売台数1位を誇ったトヨタ・カローラシリーズを抜き、年間1位になりました。
カローラの販売台数はカローラの名を冠する複数の車種の合計ですが、フィットは1車種であることから、その人気が伺えます。
このプラットフォームは、後にモビリオ、モビリオスパイク、フィットアリア、エアウェイブそして、欧州向け3代目シビック(3ドア及び5ドアハッチバック)にも用いられています。
優れた走行性能と低燃費の両立、そしてコンパクトカーでありながら広いラゲッジスペースを確保し、コンパクトカーのベンチマークのひとつとして評されています。